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先月の国分君の結婚披露宴の引き出物のカタログギフト、
出刃包丁を選んでみました。
私は出刃包丁を使用した事がありません。
実家にも婚家にもあるこの包丁、、、ず~っと避けてきました。
あの鋭い形・・切れ味抜群というあの雰囲気
指を切ったらどうなるのだろう、という恐怖感
でもなぁ~国分君の記念になるものだからなぁ、と自分では絶対に購入しないものを選んでみました。
さて、早速の初使用。
秋刀魚を三枚おろしに・・・・「ほぉ~、素晴らしい切れ味」
驚くほどの速さで奇麗に仕上がるではありませんか
優れものです
指を切ってピアノが弾けなくなったりしないよう、慎重に末永く使用したいと思います。
淳子先生の「お正月、和服で過そうかな」の一言に
急遽、実家の母を交えての『母娘三代着付けの会』
私が嫁ぐ時に作って貰った着物を次々と淳子先生に着せてみました。
懐かしいなぁ~
着物って不思議なものですね。
こうして代々受け継ぎながら着る事が出来て、その時々の思い出までも伝える事が出来る。
「この着物はね、あなたのお宮詣りの時に着たの。あ、これは七五三の時に着たんだっけ・・・・ホラ見て!」とついアルバムまで引っ張り出し、その時々の写真を見せてしまう私なのでした
そして、
嫁ぐ私に何枚もの着物を用意してくれた両親の想いをあらためて知った気がしました。時を経て、娘を嫁がせたからこそ解る親の愛でした
「有難う」と母に言ってみました。
「おばあちゃんが嬉しそうに呉服屋さんで見立ててくれたっけね」と母。
そうでした・・私の結婚を喜んだ母方の祖母が見立ててくれた和服ばかりでした。
来春、淳子先生は友人の結婚披露宴で、3歳だった彼女の手を引いて宮詣りした時に私が着た着物を着るそうです。そして、母が父との結婚式で身に付けた帯を使用するそうで・・・・祖母・母・私・娘、女四代の想いを繋いでくれる着物たち。
和服の持つ重みを感じたひとときでした。
携帯からは見れるかな??・・
ダウンロード(bmp)
前に、ピアノ型のソファを載せましたが、同じシリーズの
「ピアノ型のピアノの椅子」(なんか日本語ヘンですね)
う~ん。。
可愛いんだか可愛くないんだか、、、
実用的なのかそうじゃないんだか、、、
この椅子で弾いた場合の演奏の評価とは、、、??
でも持ってる人がいたら、実物を見てみたい
この椅子に似つかわしくない堅苦しい曲を弾いてみたい 笑
日曜日に、第19回 音楽都市こおりやま『トップコンサート』に出かけ、全国大会に出場した小・中・高9校の合唱、管弦楽、吹奏楽を聴いてきました。
どの学校の演奏も実に素晴らしかったです
さて、郡山ニ中の管弦楽部がコンクール曲「ダッタン人の踊り」と共に演奏したR・ロジャース作曲の「サウンド・オブ・ミュージック・セレクション」は私が大学1年の時に管弦楽部の定演で演奏した懐かしい曲でした
大学1年の時の、山中湖での合宿が何とも懐かしい
というのは、この合宿で私は男の子だと思われたからです
大学4年になった私にフルートのS先生が「山中湖での合宿で僕は、1年生だった牧ちゃんを男の学生だと思っちゃったよ」と言うではありませんか。
「凄くモテる男の子が入学して来たものだってね。どうしていつもあんなに女子学生に囲まれているんだろうって」 「はぁ???」
謎は、すぐに解けました
私はその頃、ショートカットで化粧っ気無しの素っぴんぴん
その上、長身で、、女子学生の中では一番のノッポ
担当楽器はチェロ・・・初心者は両足を広げ楽器をはさんで弾くので「スカートははかない方が良い」と先輩に言われ、私は合宿中いつもジーパンでした。
ミニスカート全盛のあの頃に、ジーパン姿でチェロを持ち歩く長身の私は男の子に見えたのでしょう
女子学生にモテていたのでは無く、女の子の私が女の子達と常に行動していただけの事
「それで、いつ解ったのですか私が女だって」
「定演の時だよ。『サウンド・オブ~』の時に、あのモテる男の子、少しは上手になったかなって見てみたら黒いロングスカートでチェロを弾いているんだもの!いやぁ~、あの時はビックリした」
今ではすっかり女らしい(
)牧子先生にも、こんな時があったのです
「サウンド・オブ・ミュージック・セレクション」 懐かし曲です