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フェルトのケーキの大作です

決してお裁縫が得意でも大好きでもありません

ケーキが作りたかったから頑張ってみたのです

ここ最近、といっても2年位、お菓子モチーフの小物を集め始めて、ケーキの形のアロマキャンドルやら、せとものの入れ物やら石鹸やら、そりゃ~何十個も集めました

集め過ぎて、結構買いつくしてしまって、自分で作るしかなくなったわけです(笑)

というか、こういう本が売ってるのを見て、すっかりときめいてしまったわけです

おかげでちょこっとはお裁縫が上手になりました

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悲しい告別式でした
地元の短大の同僚でもあった瑠美先生のお母様の告別式。
まだ66歳という旅立ちでした

お母様に最後にお会いしたのは昨年の12月
瑠美先生の発表会で「二台のピアノ」を弾いて欲しいとの事で、留美先生とチャイコフスキーの『くるみ割り人形』を演奏し、その時に客席でお会いしたのです

入退院を繰り返していらした事は知っていましたが、いつも通りの笑顔には病の気配さえ感じられませんでした

この日の演奏後、私はお母様から有り難過ぎる言葉を頂きました。
「長谷川先生がいるとステージが華やかになる」と。。


人は、出会った全ての人に必ずや何かを残し天国へと旅立っていくものだと思います。
瑠美先生のお母様が私に残してくれたこの言葉・・大切に大切にしながら生きて行こうと思います。

遺影の笑顔が、、素敵でした。



眠りながらケラケラ笑って、自分の笑い声で目が覚めてびっくりするという体験をしました

目が覚めた瞬間、直前まで笑ってた感覚がリアルに残ってて、けっこう不思議な体験でした
「アハハハ」の「ハ」をしっかり発音して目を覚ましました

でもそんな自分にけっこう自己嫌悪・・・(苦笑)

熟睡っていうよりうたた寝程度だったし、そんな笑える夢を見た覚えはないけど、きっと何かがものすごく面白かったり楽しかったりしたんだろうか

近くにいた人には、咄嗟に「思い出し笑い」と言ったらしい。
でも、咄嗟にそう言えたんだから、本当に思い出し笑いだったんだと思う。
何を思い出したんだろう・・私。。

そんな自分にかなりウケてしまい、それ以来自分の笑い寝を想像しては、勝手に1人でウケています

でも、今回が初めてじゃない気がする
きっと普段から眠りながら笑ったりしてるんだろう。。。

ま、それはそれで愉快な人生っぽいので良いとオモウ
佐和ちゃんがお母様御自慢の「無農薬野菜」を、小百合先生が美味しい「デザート」を持参し
淳子先生が「アンチョビサラダ」を 私が「野菜スープ」と「パスタ」を作り、楽しいランチタイムを過ごしました

このメンバーでの食事は久々だね・・の話題に始まり
なんと5時間にも及ぶ長~いランチに

こんなふうに過ごすランチは、とっても楽しい時間です
それぞれに活躍している彼女たちも、以前は音大受験生。
努力の日々の中でも笑顔を忘れない彼女達でしたが・・・・・

いやはや、ランチタイムでの笑顔は、さらにパワーアップしておりました

喜びも悲しみも、苦労もピアノを通して経験し、同じ気持ちを持つ仲間達にも恵まれ、この先 彼女達はどんなふうに成長して行くのだろう、と楽しみでならない牧子先生でした



今週の日曜、心待ちにしていた『大ナポレオン展』を見に行きました

『ナポレオン展』を見に行くということで、朝からベートーヴェンの交響曲第③番『英雄』を聴いてから出かけました。  

『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト!  
1789年、フランス革命
経済の発展に従って社会の中心が王侯貴族から一般市民ヘ移ってきた混乱期に現れ、ヨーロッパのほとんどを統一した、軍人の天才ナポレオン・ボナパルト。 

ナポレオンは、『帝政様式』という新しいスタイルをつくり、国内に15もの国立美術館を創立。文化政策にも力を注いだのです。中でも有名な世界最大の美術館ルーヴル美術館。 

『大ナポレオン展』では、当時の文化の光彩とナポレオンの遺産、時代をみる事が出来ました。
ナポレオンの髪の毛や血の付いた紙もありました。

この時代は、音楽史ではベートーヴェンの時代です。  

交響曲第③番『英雄』は、フランス革命後の世界情勢の中、ベートーヴェンの『ナポレオン・ボナパルト』ヘの共感から、ナポレオンを讃える曲として作曲されたと言われています。

当時ベートーヴェンの暮らすオーストリアと(ナポレオン・ボナパルトの)フランスは敵対していました。
しかし、ベートーヴェンは大の貴族嫌いで、庶民出身のナポレオンに親近感を持っていたのです。

交響曲第③番は本当は『英雄』ではなく、『ボナパルト』という名がつけられたんですよね。

しかし、ナポレオンが後に皇帝の座に着くと、ベートーヴェンは激怒して曲名を改め『英雄』に変更し、献呈をやめました。。


『大ナポレオン展』の会場には、ベートーヴェンの肖像もありました。


ベートヴェンの音楽が、その時代背景を見て少し理解出来たような気がします。 

どうしてこんなに重いのか、(それに魅かれるのですが)それは、ベートーヴェンの性格のせいじゃなかったのですね・・・。

ベートーヴェンの音楽が、まるで時代を映す鏡のように感じました。

私は、『大ナポレオン展』を入り口から出口まで見て、また逆戻りして、繰り返し何度も何度も見ました。

それはそれは、すごかったです。


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